とても些細な事を発見しました(^-^)
こう言っては申し訳ないけど、大したカメラじゃない「Vivitar BV35」なんだけども。。。
レンズの下の黒いギザギザ部はレンズ開閉レバーです。
そして、Vivitarの文字の上にある同様の黒いギザギザ。こんなところにあると、内蔵ストロボのスイッチと思ってしまうのですが、触れてみたら~動きもしないし押せもしない。
すると、単なるデザインってことでしょうか!?
いや多分、カメラを構えた時に左の人差し指がストロボを塞がないようにするガードだったり、いくらかは滑り止めの要素もありそうな感じです。だとすると、気が利いてますよね!
そう思いたい!(^-^)
ちなみに、型名の「BV」は「BIG VIEWFINDER」の略。簡単カメラだけども明るくて見やすいファインダー搭載しているってことで、カメラ好きな人が鞄に潜ませておく用に所有されているパターンが案外とあったりします。
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田中長徳先生の連載コラム「我楽多屋で買ったモノ・マガジン」を更新しました。
第244回目のテーマは「カメラの元箱の話です」です。
こちらよりお楽しみください→https://camera-kaukau.lekumo.biz/arrow/monomagazine1.html
ニコンの全天候型カメラ「ニコノス」シリーズは、1963年から2001年に販売終了するまでに6種のカメラが製造販売されました。
その初号機(後からⅠ型と呼ばれるようになる)は、もともとフランスの潜水用品メーカー「ラ・スピロテクニーク(La Spirotechnique)」が製造販売した「カリプソ(Calypso)」(1961年発売)とほぼ同じカメラでした。
これは、1962年1月にラ・スピロテクニーク社と日本光学工業(現ニコン)が技術提携契約を締結した結果、ニコンはカリプソとほぼ同じカメラをニコノスとして製造販売始めたからです(1963年)。
その初号機に僅かな仕様変更をしたモデルが画像のニコノスⅡです。で、海外向けには「CALYPSO/NIKKOR Ⅱ」というネームで販売され、今回その2台を並べて写真に収める機会を得ました。
ボディフロント下部に貼られたネームプレート、今見るとプレートというよりもテプラで打ち出したみたいな簡単なものです。でも、背面のラバー部にはシッカリと型押しされた「Nikon」と「Nikkor」で差別化されています。
この2台、同じ常連さんのカメラでしたが、NIKONOSの方は今回物々交換で手放されることに。折角だから~とカリプソ/ニッコールの方もご持参くださって、最後に2台並べて記念写真を撮ったという次第です。
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もう20年近く前の中古カメラブームの時、レチナって人気ありましたよねぇ。こういう言い方をすること自体がオヤジくさいな...(笑)
中でも、大窓の「ⅢC」や、「#117」と呼ばれるファーストモデルや、レンズに「USエクター」が付いたモデルの人気がありました。いや、USエクター付きは今でも人気を持続していますね。
これは、「Ⅰ型」のエクター付き。エクターでもUSじゃないエクター付き。米コダック製ではなくて、独シュナイダーでライセンス生産されたレンズが付いています。
でも、今日の話題はレチナのウンチクではなくてレンズ前カバーの裏に貼られていた、販売店(と思われる)のマーク。
「United Camera Exchange」と記され、3本ターレットレンズ付きムービーカメラのイラストが描かれていました。
検索してみると、1960年代のチラシ広告らしきものがみつかりました。ニューヨークにあったお店のようです。
1970年代にニューヨークにいらした田中長徳先生に聞いてみるとご存知なかったので、50年程前にお店はなくなっていたのでしょうね。
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この「フォクトレンダー・ビトーC」ってカメラ、ミノックス35と兄弟だか親戚関係にありそうです。
まずは、フォクトレンダーって光学機器メーカーの歴史は1756年にオーストリアのウィーンで生まれたところまで遡ります。そして、1800年代半ばにドイツのブラウンシュヴァイクに移転します。
ブラウンシュヴァイクが大戦で大きな戦災に合わなかったこと、西側(イギリス)の占領地域だったことから、東西分裂などの影響は受けることなく早々になかったものの、戦後は少しずつ日本のカメラメーカーに押されることになります。そして、カールツァイスの傘下に入ったり、商標権がローライに移ったりします。
このビトーCが発売された1981年は、倒産したローライから商標権がプルスフォト(流通・販売業)に移った時のようです。製造はドイツのバルダ社だろうと言われています。
このカメラの見た目や大きさなどが「ミノックス35」に似ていると思う人もいらっしゃるでしょう。その感覚は正しくて、どうやら~ミノックス35もバルダのOEMだという話ですから、何らかの共通点や酷似点があるのも自然ですね。
カメラ機能としては完全プログラム露出なので、絞りもシャッタースピードもマニュアル操作は出来ません。ピントを目測で操作するだけです。
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ひと月ほど前に一部のカメラ好きの間で話題になった、カメラ型の缶に入ったチョコレート。
「KALDI(カルディ)」というコーヒーや輸入食品などを売るショップで販売されるも、たちまちに売り切れ続出ということでした。
私は幸い知人から1個譲ってもらうことが出来ました。
で、裏面を見てビックリ! 製造者が買取名人改め買取職人のふるさと小豆島にある会社だったんです!
まさか!買取職人の隠し商売か!?なんてことは絶対にありません。そんなこと言うこと自体、実際の会社さんに失礼です。
でも、「不思議な縁だなぁ~」と思った次第です。
ちなみに、木製の二眼レフカメラ型の入れものに入ったチョコレートもあったのですが、こちらはさらに品切れ続発だったそうです。
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この前、常連さんから聞いて受けたカルチャーショックです!
ローライフレックスのピントフードを起こしてファインダーを覗いた、フィルムカメラ初心者さんが発した言葉が「え~っ!こんな古いカメラでもカラーで写るんですね!凄い!!」だったそうです。
ぼや~っと聞いていると、何を言っているのか分からないかもしれないくらい突拍子もない発言に思えます。
その人にとっては、古いカメラはモノクロ写真しか撮れないと思っていたのでしょうか?
はたまた、ファインダー自体をテレビ画面か何かと勘違いされて、ファインダースクリーンに映し出される像が古い時代はモノクロだと思ったのでしょうか?
真相はご本人に確認してみないことには分かりませんね。
この話で思い出した話が一つあります。もう10年以上前のことです。我楽多屋でアルバイトしてくれていた子から聞いた話なんですが、弟さんに「このカメラでモノクロ写真を撮るにはどうしたらいいの?」と聞かれたことがあったそうです。
当時はこの話にもカルチャーショックを受けましたね。
★一番上の二眼レフのファインダーを覗いた画像、カメラはローライフレックスではありません。
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我楽多屋にジャンク品として並べていた「セミイコンタ」です。
先日、お客さんがそれを見て「おぉ!満州国向けのだ。これを見てしまったからには買わずにはいられないなぁ」とつぶやかれました。
背蓋を開けた時にだけ見える本体側のある部分に、ごくごく小さい文字で「for Manchoukuo」と刻印されているものが存在することを、今回初めて知りました。
このお客さん、この刻印が入ってるセミイコンタを既に1台お持ちなのだそうですが、祖祖父様がかつて満州国にいらっしゃったそうで、縁を感じてしまうのだそうです。
私は今回初めて知ったわけですが、ご存知の方が意識されていても、滅多にお目にかかることが無い希少品です。
さらに、この個体をいろいろと調べてみるに興味深いことも判明します。
シャッターボタンがボディ側にあるので、1932年発売のセミイコンタの後期モデル(1936年以降)です。レンズ番号を調べてみると、1936年にカールツァイスイエナで製造されたテッサ―レンズであることも判明しました。そこから、この個体は1936年ないし1937年に完成したと思われます。
満州国が建国されたのは1932年ですが、国際連盟加盟国の多くは満州国の独立を認めず、それが理由の一つとなって日本は国際連盟を脱退しました。その後、ドイツが満州国を承認したのは1938年のこと。
すると、この個体がドイツから満州へ渡ったのは1938年以降と考えるのが自然です。でも、1938年にはセミイコンタのⅡ型が登場しているのです。
ここら辺の時系列から、型遅れになったカメラに「for Manchoukuo」と刻印して売ったのかなぁ~とか、満州から日本へはどんなルートでやって来たのだろうかぁ~とか、このカメラのカメラ人生を勝手にいろいろと想像するのも楽しいですねぇ~なんて、そのお客さんと話が盛り上がりました。
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