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我楽多屋で買った  モノ・マガジン

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我楽多屋で買ったモノ・マガジン 第210回

「ダブル8をドアストッパーにしないための市民の会」に貴重な資料の提供を受ける

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Facebookでは思いつきで、いろいろな同好会を作れるのが最大のメリットです。それですでにいくつかの面白いけど、ほとんど影響力のない同好会を私はFacebookに作っています。その中で割と最近に作られたのが、このダブルエイトの同好会です。

私とニューヨーク在住のアーティスト船原長生さんが中心になって、半年ほど前に結成しました。最初は会員は私と長生さんしかいなくてキャッチボールをやっていたのですが、長生さんがそれでは寂しいと言うので新会員に入っていただきました。

長生さんはマンハッタンでウェブを色々と調べて貴重な映像をFacebookにアップしてくれています。ところが問題なのは、日本語の小型映画の資料というのが探すと案外に無いのです。

我楽多屋の二代目さんがそれを心配して、ある日、玄光社で出版された1950年代終わり頃の小型映画の雑誌をくださいました。普通の人にとってみれば、単なる古雑誌ではありますが、我々小型映画研究会のメンバーとしては非常に貴重な資料です。

こういう資料が重要なのはその雑誌広告にあります。当時実際にどのようなカメラやどのようなレンズが、一体いくらの値段で販売されていたのかという事は主に資料で調べるわけですが、それが大昔になってしまうと、どうも現実からかなり離れたところで情報が一人歩きするようになります。

ですから当時のリアルタイムの情報を知るには古い雑誌が最適ということになります。

私も記憶がありますが、小型映画いわゆる当時のダブル8とかは実はすごいお金持ちの道楽でした。小学校の運動会でそういうお父さんが来ると、必ずスチール写真ではなく8ミリカメラで撮影をしていたので、すごいかっこいいなと思ったこともありました。

それで当時の映画撮影機とか当時の8ミリのフイルム、さらに現像代などを調べてみると、通常の勤労者の月給等とは桁が違うような高い値段であったのが分かってびっくりします。そういう小型映画がまだ高値の花であった時代の、これは非常に貴重な雑誌資料と言うことになります。

ところで小型映画が一般に普及したのは1964年の東京オリンピックからでした。当時はそういう言葉がなかったわけですが、スチールフォトグラフィーからいわゆるオーディオビジュアルに一大進化を遂げたわけです。

それを決定的にしたのはその前後に発売されたコダックのスーパー8カメラでした。つまり8ミリのカートリッジをポンと入れれば、そのまますぐ撮影が出来るわけです。

それ以前の8ミリとか16ミリの撮影で1番大変なのは、ロールフイルムを装填すると言うことにありました。これは結構と職人的な技術なので、習熟をしなければなりません。だからその練習のためには、1本のフイルムを無駄にする覚悟が必要であるというようなことが、入門書にも書かれていました。

二代目さんから提供があった小型映画の雑誌には、そういう日本の小型映画黎明期の資料ということで非常に参考になっています。どうもありがとうございます。

 

 

(2017.3)