アローカメラ         &我楽多屋

我楽多屋で買った  モノ・マガジン

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我楽多屋で買ったモノ・マガジン 第232

入荷したばかりのつやつやしたブラックペイントのミノルタSR7を

二代目さんが売ってくれたのは嬉しかった

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ミノルタの一眼レフはかなり好きです。

1980年にザルツブルグカレッジでワークショップを教えていた時に、日本から数人の受講者が来ました。その中にいたのが後で有名になる写真家の吉村朗でした。

彼が持っていたブラックのミノルタXEと、私が使っていたロシア製コンタックスのキエフを交換したのでした。1970年代半ばに篠山紀信さんの広告で結構有名になっていたのを、私は毎月オーストリアウィーンののアトリエに届けられるアサヒカメラで見ていたのです。

私は吉村から譲ってもらったミノルタでポーランドの連帯を取材したりしました。その仕事は1982年1月号のアサヒカメラに掲載されています。

吉村は私からトレードしたキエフカメラで、そのあとの一連の重要な彼の仕事を撮影しました。それは吉村の写真集にも掲載されているし、その中には彼がキエフカメラを構えているポートレートもありました。

私にとってミノルタの一眼レフというのは、特別なスタンスを持っていて尊敬する写真家のIshimoto Yasuhiroさんが、1950年代の後半にシカゴに住んでいた時に使っていたカメラはブラック仕上げのミノルタSRでした。この大写真家にあやかろうとして、私も真似をして擦り切れたブラックのミノルタの一眼レフを持って東京を歩いていました。

10年近く前のことだったと記憶していますが我楽多屋さんに行ったら、その話を聞いた二代目さんが「今入荷したばかりです」と、まだ値札のついてないブラック仕上げの新品同様みたいなミノルタSR 7を私に示したのです。

久しぶりにこのカメラを出してみて、例の黄色い値札が付いていないのが変だなと思ったのですが、それもそのはずまだ黄色いシールがつく前の状態だったわけですね。

このカメラには、58ミリの明るさがf1.4のレンズが付いていました。写真に示す28ミリは別の機会に我楽多屋さんで買ったものです。

当時のミノルタのロッコールレンズのセールスポイントというのは、まだマルチコーティングというセールスポイントの言葉はなかったものですから、ロッコールの緑色のコーティングと言われていました。日大の写真学科の学生の間でも、これは有名な事実でした。

当時のアメリカの写真界の動向を知るには、アメリカのカメラ雑誌が出しているUSカメラアニュアルとかそういうのが唯一のソースであったのです。

リチャードアヴェドンのアシスタントで有名になったHiro若林が使っていたのが、グリーンコーティングのロッコールレンズとミノルタの一眼レフでした。当時の印刷は今と違って結構クオリティーの低いものですが、テクニカルデータを見るといかにも緑色のコーティングは描写が良さそうに思えたので、こういうのはテクニカルデータトリックと言いますね。

譲ってもらったこのカメラはブラックペイントつやつやで、ちょっと虎屋の羊羹のような感じでつい渋茶が欲しくなります。

 

 

(2019.2)