プラウベルマキナ
この二代目ブログを始めたのが2008年。以降、画像のプラウベルマキナを話題にしたことはほとんど無かったはず。
デジタルカメラ全盛の時代になった今でも人気が安定しているこのカメラなのに、話題にしていないのは二代目がこのカメラのややこしそうな素性をあまり知らなかったから、知ろうとしなかったから。。。
ところで、「カメラのドイ」と言っても知らない世代が増えて来ていると思います。
かつては、新宿西口に「ヨドバシカメラ」と「カメラのさくらや」と「カメラのドイ」が同じ一角に揃って店舗を構えていて、「新宿カメラ戦争」などと言われた時代がありました。
その中で一番最初に消えてしまった...「カメラのドイ」が出していたカメラなのです、プラウベルマキナは。
1900年代初頭からドイツにあったカメラメーカーの「プラウベル」社は、1975年にカメラのドイを運営しているドイ・インターナショナルによって買収されます。
カメラ好き・カメラコレクターでもあった土居社長は、元々のプラウベル社が試作したカメラに満足いかず、コニカに開発を依頼するのです。しかし、レンズはニッコール。
かくして、土居社長によって1979年、日本製プラウベルマキナが発売されるのです。
当初、製造はシャッターのコパル系の工場で行なわれていたようですが、途中からマミヤで製造されるようになります。しかし、マミヤやその親会社の経営悪化の影響を受けて、プラウベルマキナの製造も1987年終了することになったのです。
国境を越えたうえに、国内各社入り乱れた感ある製造の背景、正直、全容をキッチリ理解していませんでした。。。
*上の画像は220フィルムに対応した1984年に登場した「670」型。
*既に訂正いたしましたが、本文中「土居社長」を、最初「土井社長」と誤って表記していました。申し訳ございません。
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