我楽多屋で買った    モノ・マガジン

Powered by Six Apart

« 大きな剥製、圧巻! | メイン | 貴婦人 »

2014年10月 9日 (木)

写真文化

Img_1493_960x1280

一昨日、お客さんといろんなお話をさせていただく中で、ずいぶん前に聞いたある話を思い出しました。

 

「お祭りの写真を撮りに出かけたとして、フィルム10本持って行って、全部撮り切るのはなかなか大変だった。でも、デジタルカメラだと1000カットくらい、案外と簡単に撮れてしまう~。

で、フィルムの場合、その360カット(36EX×10本)の中から満足のいくカットなんて、片手で数えるくらいあればいいもの。

デジタルの場合、まず大量な中から探すの大変だけど、そりゃ、フィルムの3倍撮ってるんだから両手で足りないくらいのいいカットは見つけられるよ、多分。実数云々じゃなくて、確率もいいはず。

でもね、フィルムで撮った360カットの中から見つけた最高の1枚と、デジタルで撮った1000カットの中から見つけた最高の1枚とを比較したら、たとえデジタルの方が作品としては良かったとしても、自分の中での重みが違うんだよねぇ。きっと、フィルムで撮った方が大切になる。」

 

よ~く分かるような気がします。

フィルムには撮る楽しみがあるし、出来上がりを待つ楽しみがある。即座に失敗が分からないから、結果的に学習効果も高められる。その分、フィルムで撮った写真には思い入れが強くなるんでしょうね。

こんな風にデジタルとフィルムの比較的な話になると、わたしは最近よく、「写真文化」という言葉を使いたくなったりするので、改めて「文化」って言葉の意味を調べたところ、「文明」との使い分けにおいて、物質的な所産意味合いの「文明」と、精神的な所産意味合いの「文化」とありました。

ここで、面白いなぁ~と思ったのは、今のデジタルカメラは明らかに「文明」であると。

それに対して、既に過去のもののようにも扱われるフィルムカメラを含めて写真は「文化」であると思うのです。

だからと言って、デジタルカメラで撮った画像は文化になり得ない~とは言っていません。デジタルカメラで撮った画像も「写真」たる扱いをすれば「文化」になり得ると思っています。

*今から9年近く前に、コニカが写真事業から撤退した直後に、富士フイルムさんがリリースしたお知らせに「写真文化」という言葉が記されていたことが、個人的に印象に残っています。

 

*アローカメラ&我楽多屋のFacebookページ(http://www.facebook.com/arrowcamera)、買取名人について語るブログ「日々買取名人学」(https://camera-kaukau.lekumo.biz/dailymeijin/)も合わせてご覧いただけると嬉しいです。