我楽多屋で買った    モノ・マガジン

Gallery 463

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我楽多屋で買ったモノ・マガジン 第322

ギャラリー白さんの毎日富士山

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もう20数年になると思うが、ガラクタ屋さんで買ったものマガジンの連載は本にもなったし、この四半世紀近い時間経過で、我々がカメラとレンズとアクセサリーにどのような物欲を発揮してきたかという結構重要なカメラ人類の古文書となりつつある。

ガラクタ屋が買取名人から二代目に引き継がれて、ガラクタ屋さんで買ったものマガジンが成長していることに対し感謝。

買取名人のスペースがギャラリー白さんになって、正しくはギャラリー463なのだけど、私がサジェスチョンしてこの名前になったのは嬉しい。

富士山は今でも東京のあちこちに、富士見坂という名前の階段やスロープがあって、それは歴史的な存在である。

一方で、関西あたりから西の方は富士山は見えないから、富士見坂という名前はない。関東周辺で象徴的な富士山をローカルな観念で名付けているのが富士見坂であり、ふじみ野であり、富士川なのだ。

「毎日富士山」の作者の渡邊さんは、私より8歳後輩の日大写真学科の人である。

その事はこの間の写真展でお目にかかって判明したのであるが、写真教育の基本を学習したインテリジェンスであるから、普通の考えだと、写真美術館思考になってしまう。

ところが渡邊さんの仕事はその全く別の方向であるところがすごいのであって、1000枚近く撮影した富士山のサービスプリントサイズをギャラリー白さんの壁に貼り尽くしている。

岡田紅葉という日本を代表する富士山写真家がいて、富士山の近くにミュージアムもあるらしい。二代目さんの話では写真展の前に渡邊さんが二代目さんを連れて、その富士山岡田写真芸術ミュージアムに行ったそうである。

そういう日本の伝統芸術としての富士山の理解を完全に方向変換したというところが、先月開催されていた。毎日富士山の向かう新しい芸術的方向性なのである。

私はコンセプトで撮る写真が大嫌いで、例えば国立近代美術館の杉本博司の仕事などは40年来批判している方向なのであるが、毎日富士山展覧会の場合はコンセプトなどというものではなくて、我々の原点として持っていた富士山へのイメージが完全に破壊されたいうところを評価する。

それでここが1番大切なポイントであるが、毎日富士山の作者はなんとご自宅の窓の前に富士山が存在するのである。

友人の著名写真家でキリマンジャロをテーマにしてエチオピア航空を乗り継いでキリマンジャロを撮影に行く人がいる。キリマンジャロとその写真家は地球の直径位の距離がある。その人はキリマンジャロを愛するあまりキリマンジャロに登ったりもしている。

もう1人の私の古い友人のドイツ人で、ミュンヘン在住のモダンアーティストは、キリマンジャロの存在を言語文字列に置き換えて、縦が7メートル横が50メートル位の巨大な壁面に、Kilimanjaroという文字を書いてそれを展示するというアートワークである。

世界の有名な山岳をそれぞれのアーティストがそれぞれの理解の仕方で自己表現しているわけだ。

渡邊さんの毎日富士山を私が評価するのは、クラシックな美学としての富士山表現ではない。

たまたまお住まいの窓に富士山が引っ越してきたので、良いシャッターチャンスだからこれを撮影したという感じなのだ。それも毎日という富士山との出会いなのである。

富士山に憧れて富士山のそばに引っ越したのではない。富士山が渡邊さんに撮影してもらいたくて、渡邊さんちの前に引っ越してきたという理解がこの場合正しい。

 

 

(2026.8)