我楽多屋で買った    モノ・マガジン

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2009年2月25日 (水)

伝書鳩

2009225

私の無知さが露呈するかもしれませんが。。。伝書鳩(デンショバト)は知ってはいましたが、日本の新聞社が1960年代まで通信手段として使っていた!とは知りませんでした。

キッカケになったのは、今月発売の写真誌「フォトコン」を読んでいて、「~朝夕は各社保有の伝書鳩が群舞し空が暗くなる有様で~」という一文を見つけたこと。

私より若い人の中には、伝書鳩さえ知らない人もいるかもしれません。wikipedhiaによれば「カワラバト(ドバト)などのハトを飼い慣らし、ハトの帰巣本能を利用して、遠隔地からハトにメッセージを持たせて届けさせる、通信手段の一種」とあります。

ハトは1000キロ以上離れた地点から巣に戻ることも可能らしいですが、実際には200キロ以内での通信や運搬に利用されたそう。輸送の方法は、脚に通信文を入れた筒を付けたり、小さな荷物は背中に持たせることもあったと言います。

日本でも大手新聞社本社が集まる有楽町界隈では社屋の屋上でハトを多数飼っていたらしいです。記者は遠隔地からの通信手段として、伝書鳩を連れて行き、現場から通信文やフィルムなどを鳩に付けて、本社へと放したのだそうです。

ハトの飛ぶ速度は時速70キロと言われるので、東京からだと新幹線というライバルがいない中央線方面なら、諏訪湖あたりから3時間くらいで飛んで来られるわけです。

新聞社では確実性・迅速性が求められるので、同じ通信文を付けたハトを複数放したり、記者同士で優秀なハトの取り合いもあったらしいです。しかし、通信手段の発達により、ハトの役目は無くなり、希望者へと頒布されていき、その子孫が「読売系」とか「朝日系」とか呼ばれることもあったと言います。

*参考ウェブ→http://blog.livedoor.jp/hisako9618/archives/50017060.html

今では、インターネットなど通信を利用して、書面のみならず、画像まで送れる時代。遥か昔の話と思うけど。。。まだ40~50年前の話でもあるのです。

最後に先日こんなことがありました。「ローライ35T QZ」というカメラの買取り依頼がありました。ほとんど流通していない機種なので、外出中の買取名人に確認の電話をしたのですが、型番を言っても名人に型が伝わらない。。。あ~でもない、こ~でもないと。。。で、携帯電話で画像を送信したところ(それが上の画像)、一発で解明!見事、お客さん納得の買取価格で買わせていただくことが出来ました。その時間、ほんの数十秒。

フィルムカメラで撮影して現像していたら、ハトに写真を託すまでに最低でも数十分はかかってしまうところです。