我楽多屋で買ったモノ・マガジン 第303回
キエフ5に関する思い出
かなり以前の話になりますが、30年位前から数年間、ガラクタ屋さんの1番良いウインドウで私のカメラコーナーを作って販売して頂きました。結構高額な商品も場所柄ですから、よく売れてお世話になりました。
そこに置いたカメラで忘れられないのはこのカメラ、キエフ5です。1970年に登場したロシアコンタックスの最終進化モデルでした。すごいのは本体はコンタックス2型のコピーなのに、トップの部分を大改造してメーター連動式でブライトフレームファインダー内蔵のレバー巻き上げのクランクリワインドという大改造が行われたことです。
オリジナルの西ドイツのコンタックスの最終進化モデルは巻き上げもまだレバーになっていませんでしたから、キエフ5は大変な未来カメラでした。
リスボンに旅行したとき、私がよくカメラエッセイで紹介したリスボンの見えないカメラ店でこのカメラを買いました。そのあと長く使っていて調子が悪くなったので、プラハで修理しました。
そのキエフをガラクタ屋さんのコーナーに置いていただいて、買ってくれたのが心臓外科のスペシャリスト根本先生でした。根本さんとは飲み友達といっても、今はもうない月島の枝村酒店の立ち飲みです。そこでいろいろな話をしました。1番よく覚えているのはジェームスジョイスの名作ユリシーズの主人公であるレオポルドブルームはなぜユダヤ人なのか?というようなお話。
ダブリン出身のジェームスジョイスはスイスのチューリヒに暮らしながら、二度と戻らなかった故郷のダブリンのことを細かく記憶して表現しています。私もダブリンに行きたいのですが、行く機会がないので、もっぱらダブリンで売っているカメラをeBayで買ったりしていました。
その根本さんが、不慮の事故で数年前の2月の13日に昇天してしまったのです。根本さんの使っていたカメラがガラクタ屋さんのウインドウに並べられて、その中に私がかつてお譲りしたキエフ5が入っていたので、すぐ買いました。
これは何と言うのか、非常に素晴らしいガラクタ屋さんを中心としたカメラの循環プロセスであるなという感じがしたのです。根本さんと私で同じカメラの記憶を共有できたということがすばらしい。
根本さんがお使いになったカメラは再び私の手元に戻って元気に働き続けています。
(2025.1)