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我楽多屋で買った  モノ・マガジン

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我楽多屋で買ったモノ・マガジン 第254

ペンタックスKMていうのは

何やら同じ名前のデジタル一眼レフがあって紛らわしい

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森山大道さんが愛用していたのは、ペンタックスのスクリューマウント時代のボロボロに使ったブラック仕上げのやつでした。それを我々写真学生のカメラスズメが真似をしたいので、あっちこっちの中古カメラ屋さんで買ったわけです。当時は非常に高いカメラだった。

私などは生粋のペンタックス人類ですから、最初に手に入れたのは小学校高学年の時で、一番最初の今でいうところのペンタックスAPというモデルでした。あの頃のペンタックスはまずそのロゴが非常に研究されつくしていてよろしい。1960年代の終わりごろにペンタックスS2のブラックを手に入れてそれを使っていました。

1970年頃から私も若手写真家ということでカメラ雑誌に作品を掲載するようになったのですが、ペンタックスの会社は作品掲載するとページあたり10,000円払ってくれるんです。私の日本デザインセンターの初任給が35,000円の時に、7ページ作品を掲載すれば70,000円。それでカメラ雑誌のデータがみんなペンタックスペンタックスになっちゃった。

でも私もそうですがペンタックスだけに忖度するのが嫌だから、ちゃんとライカM2も使ってました。当時の写真家はライカとペンタックスという二本立てのカメラ扱いというのが多かった。広角はライカで撮影して、標準から望遠はペンタックスという棲み分けでした。

オーストリアウィーンに住んでいた1970年代に、パリに住んでいた田原桂一さんに聞いたんだけど、パリのアパートに泥棒に入られてカメラ全部取られちゃって、たまたま楢原一高さんがパリに来ていらして、かわいそうだと言うので田原さんにペンタックスMEをくださったのだそうです。

田原さんとはニコンのカメラ雑誌の広告で並んで作品出したこともあるんですが、田原さんの真似したくてすぐに日本の友人に頼んでMEを送ってもらいました。すごい小さな使いやすいカメラでした。

だから私の場合ペンタックスの歴史を考えてみると、一番最初に元祖APを小学生の頃に使い始めて、その後20代にウィーンでMEを使ったものですから、その前に出たいわゆるペンタックススクリューマウントからペンタックスのバヨネットマウントになった頃のKMなどは全く縁がなかったのです。

ペンタックスKMをガラクタ屋さんで手に入れたのは6~7年前だと思いますが、何か失われた私の青春が手に入ったような感じがして嬉しかったのをよく覚えています。その青春の夢の値段が2,000円というのはありがたい。このモデルはごくごく単純な機械式のカメラでautomaticな露出になっていないのが安心していられます。

いつだったか天才荒木がペンタックスの一番高いモデルのLXというやつを首からかけて、非常に不機嫌そうな顔をしているのが良かったので、同じカメラを私も買いました。

ところがこの当時の一番高級なカメラというのはバッテリーがなくなると、メカニカルシャッターは動くんだけどオートマチックでは全く動かなくなっちゃう。やはりカメラはバッテリーを入れないで動くのが良いと思います。ガラクタ屋さんで買ったKMというのはもちろんメーターは入っているんだけど、私はメーターは使いませんからね。

それで、このペンタックスKMはどういうバックグラウンドがあるのかネットで検索したら、いきなり入ってきたのがペンタックスk-mというやつで、どうもこれは全く違うものらしい。ママに優しい小さなカメラみたいな、変なキャプションがついている。

こういうのって困るんですよね。キャノンもそうだけど型番が大昔のと今のとでダブっているというのは、我々のようなオールドカメラスズメには非常に迷惑です。

カールツアイスが一番混乱していて、戦前の世界最高級の35ミリ2眼レフカメラと戦後のアマチュア用のレンズシャッター式35ミリ一眼レフの名前がおんなじコンタフレックスなんです。ウィキペディアでいうところの曖昧さというものを除外してもらわないと困ります。

私はペンタックスに関しては好きなカメラなんですが、現行のデジタル一眼レフのペンタックスは大嫌い。その理由はあのヘンテコリンなロゴタイプにあります。

だから私の周りの知識人のみなさんで本なんか出していて事業家としても成功していて実に尊敬する人なのに、このデジタルカメラの格好の悪いロゴのカメラを愛していて、それで富士山なんか撮っちゃう人がいる。そういう人はちょっと嫌いになったりします。

 

  

(2020.12)