我楽多屋で買った    モノ・マガジン

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我楽多屋で買ったモノ・マガジン 第257

ドアストッパーの袋の中から出てきたセルフタイマーコレクション

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十数年前にこのセルフタイマーのコレクションはこの連載で紹介した記憶がありますから再登場です。

寝室のドアストッパーは大きな布の袋なのですが、その中にガラクタ時計のコレクションが入っています。時々それを掘り返して、気に入ったソ連製の時計などを腕につけて実際に使っているわけです。

ハトロン紙の袋があったので、おやこれはどんな時計だろうなと取り出してみたら、このセルフタイマーのコレクションでした。それで15年以上前だったと思いますが、二代目さんから全部まとめて40位の数のセルフタイマーのコレクションを譲ってもらったことがあります。だからここにあるセルフタイマーは小分けにした袋のうちの1つだという事ですね。

戦後のスタートしたばかりの日本のカメラの工業で、セルフタイマーが付いているカメラはフォーカルプレーンシャッターの場合はかなり高級カメラでした。フォーカルプレーンシャッターのカメラの普及レベルのものはセルフタイマーは付いていませんでした。

それでセルフタイマーの需要というのはかなりあったんです。新婚旅行などに行って小さな三脚の上にカメラを乗せて撮影するというのは、最も重要なセルフタイマーの役割でした。何しろ人生のハイライトを記録するわけですから。

我楽多屋の二代目さんのカメラとアクセサリーに対する思考のユニークなところは、こういうものをバラ売りしないことです。あるいは私の記憶違いで、一度に入荷した大量のセルフタイマーを私が大人買いした可能性もありますが、私の記憶によればこれは二代目さんがロットで買わないかと勧めてきたような記憶もあります。でも結果として、ロットで買ったわけですから、それはどちらでも良いことなのです。

今まででずいぶんいろいろなものを、カメラやレンズやアクセサリーを我楽多屋さんから手に入れました。というよりも15年以上、例のデパートで開催される中古カメラ市に行っていない私なので、私のカメラショッピングの体験の中で、唯一オフ会で買うことが出来るのは我楽多屋さんだけということになります。何故かというと、こう見えても73歳の私は写真展をやったり撮影をしたり、雑文を書いたり、忙しいのでなかなかオフの状態でカメラを買いに行ったりする時間がないんですね。

25年ほど前にモノマガジンという雑誌で、セコハンカメラ道という連載を何年かやっていました。当時はフィルムカメラしかなくてデジカメの話は一切出ませんでした。

最近の我楽多屋さんのFacebookの書き込みで、私が楽しみにしているのは二代目さんというのは気に食わないお客さんにハッキリものを言うということなんです。自転車通勤で港区のお台場方面にお住まいの二代目さんですが、四谷あたりで交番の警察官の取り締まりがゆるいと、はっきり警察官に対して文句を言ったりする正義の味方なんですね。

怖いカメラ屋さんのマスターというのは何に似ているのかというと、最近はその数がぐっと減ってしまいましたが、いわゆる30年位前までは寿司屋の怖い親父さんというものが、必ず1つの街に1人いたものでした。つまり若かった頃の我々はそういう怖いお寿司屋さんの店に行って、寿司の道を教わったものでした。

私の古い連載のタイトルがセコハンカメラ道なのですが、考えてみると今、二代目さんがやっているというのはまさに、ガラクタカメラ道なのです。こういうのって1つのカメラ文化というか、とても大切なことだと思います。

二代目さんがお客さんのカメラの触り方が悪いと言って文句言ったりするというのを、うるさすぎるという人もいるみたいですが、私はそうは思いません。というのは、私のヨーロッパの長い経験からして、例えば向こうの中古カメラ屋さんはカメラもレンズもアクセサリーも全部ウインドウに入っていますから、お客は見たいものを指示してそれを出してもらってそれをチェックしたらウインドウに戻して、また店員さんにお願いして別の品物を出してもらうというのは基本的なルールです。

だから片っ端からカメラとレンズを、ホロコーストみたいにいじり倒すというのは、常識はずれも甚だしい非カメラ人類的な行為なんですね。例えば、日本のツーリストの人が慣れないヨーロッパの果物市場などで、そこに置いてある果物を指でつついたりすることを市場の人が1番嫌うんです。要するに日本人の場合、長年培われてきた国際的な商業上の道徳を最初から踏み外した礼儀知らずというわけなんです。

 

  

(2021.3)