買取名人 思い出のカメラ
この2台は買取名人の思い出のカメラらしい。
左のカメラは「ダン35」。タレント萩本欽一さんのお父様がカメラ屋さんだったってご存知ですか?このカメラはそのお父様が昭和22年に製造販売したカメラです。
もともと買取名人がカメラ屋になったきっかけはというと、ふるさと小豆島で進学か就職か決めかねていた名人は、担任の先生に「野田君は商人になれ!」と言われて決心がついたそうです。
その担任の先生が欽ちゃんの叔父様。その叔父様の親戚が経営する神戸にあるカメラ店に住み込みで就職したのです。そういう経緯があって、このカメラが名人の思い出の1台なのです。
買取りを始めてから、この思い出のカメラを数ある買取り品の中に探し続け、20年目にしてやっと見つけたのがこの1台!2階買取りコーナーに飾ってあります。
右のカメラは昭和29年発売の「リコーフレックスⅦ」。定価8,300円にもかかわらず、人気のために品不足が続き、プレミアが付いて10,000円以上で売り買いされていたそうです。名人が就職したのが同じく昭和29年の4月1日のこと。就職後、最初の里帰りの際に、勤務先のカメラ店から借りて初めて使ったカメラがこのリコーフレックスだったとのこと。
ちなみに、その時の名人(正確にはまだまだ名人ではなく小僧だったはず)の給料が1,500円。2年後に銀座カツミ堂に転勤になった頃、ライカM3+50ミリF1.5付きが24万円くらいしたそうです。
1台販売するとその儲けで店員6人全員の月給がまかなえていたようでしたとのこと。当時のカメラ屋さんが如何に儲けていたことか。名人が時々ボヤきます。もう少し早く生れてカメラ屋さんに成れたら良かったのにと。