お店同士で品物の貸し借り
業界通信を読んで昔のことを思い出し、おおらかな時代だったなぁ~と思いました。
それは私が銀座のカツミ堂様で店員の頃です。
お客様がこの品物を欲しいと来店すると、在庫がありません。ちょっと待って下さいと言って、隣りのミヤマ商会様にその品物を借りに行って売っていました。翌日、問屋に注文して返す。
そんなことやっても商売していました。今では考えられませんね。フィルム1本でもやっていました。
業界通信を読んで昔のことを思い出し、おおらかな時代だったなぁ~と思いました。
それは私が銀座のカツミ堂様で店員の頃です。
お客様がこの品物を欲しいと来店すると、在庫がありません。ちょっと待って下さいと言って、隣りのミヤマ商会様にその品物を借りに行って売っていました。翌日、問屋に注文して返す。
そんなことやっても商売していました。今では考えられませんね。フィルム1本でもやっていました。
1954年、私がカメラ業界に入った年に発売されたライカM3。
同じ年に木村伊兵衛様が開発されたばかりの国産カラーフィルムを持って渡仏。カメラはライカM3とニコンSだったそうです。
その時の写真展が日本橋三越本店新館7階で10/24~11/5まで開催されます→https://www.mitsukoshi.mistore.jp/nihombashi/event_calendar/kimuraihei.html
私もぜひ行ってみたいです。
昨日の話の続きです。
値引きをしなくてもよく売れた昭和30年代は、下取り交換も盛んでした。
でも、昭和40年代も後半になると大手量販店の値引き競争が始まり、小さいカメラ屋は新品販売では利益が得られなくなりました。それは下取り交換でも同じこと。
カメラ屋の中には中古販売にシフトするお店も増えましたが、私はその頃、他がやらなかった買取り専門に業態を特化することにしました。
カメラがよく売れた昭和30年代の話です。
大卒初任給が1万円台だったのに、7~8万円するようなニコン、キヤノンの新品カメラが値引きもせずに沢山売れました。
リコーフレックスなどは一時期、生産が追い付かず、8,800円の定価に対して2割くらいのプレミアを付けても売れた記憶があります。
今は情報も氾濫していますし、全然違う時代だったのですね。
昭和30~40年頃、カメラメーカーのサービスセンターにお客様から預かった修理品のカメラを持って行く仕事をよくしていました。
顔馴染みの業者ということもあって、すぐにその場で直してくれたりもしたものです。
特にペンタックスさんは一番サービスが良かったと記憶しています。
1960年代に流行ったハーフサイズカメラ。
流行った原因は、フィルムが高価だった時代に1本のフィルムで倍(2本分)の写真が撮れるというところ(現像料も1本分でいい)でした。
当時のカメラ屋は、看板にD.P.E.(現像・焼付け・引伸し)を謳って写真屋として商売順調でした。
先日の日経新聞発行のプラス1に掲載されていた記事が、私にとってとても懐かしく思われました。
私が銀座のカメラ店で小僧をしていた18歳の頃、銀座に行って遊ぶことを「銀ブラ」と言って流行語にもなっておりました。
その語源とも言われているのは、銀座でブラジルコーヒーを飲むこと。明治44年銀座に開店したコーヒーショップでブラジルコーヒーを飲むことを、大正の頃からそう呼ばれていたのだとか。
その珈琲ショップが開店100年の特別キャンペーンで、記念の手提げ袋とコーヒー200gを通販するのだそうです。早速注文しました。
1週間~10日で届くそうです。待ち遠しいです。