フォトアルバム

アローカメラ         &我楽多屋

Powered by Six Apart

過去のこと Feed

2020年2月14日 (金)

職務質問される

6a0120a63eae74970b012875e157b8970c

訪問買取りには画像のようなコンテナやカゴを持参します。

以前の話になりますが、ある訪問買取りで沢山のカメラやレンズを買わせていただき、コンテナやカゴに詰めた品物を車に積み込みました。

店に戻る途中に立ち寄ったスーパーでお巡りさんに職務質問をされました。

カゴが画像のようにスーパーの店内で使うカゴと同じ形状なので、盗人に疑われたのです。

カメラ買取り専門店のアローカメラであることをいろいろと説明すると納得してもらえたので事なきを得ました。

2020年2月 8日 (土)

買取銘人

買取名人を名乗っていた時のことです。

お客様からのお礼状にこんなことが書かれていました。

「野田様は買取名人と呼ばれる方ですが、もうひとつ私からは買取銘人という称号をお贈りしたいと思います。カメラを買っていただくという事は長くもっていただけに決して嬉しい事ではありません。悲しい気持であります。ところが、野田様の誠実な御人柄が売る側の私の心をなごませ、野田様に任せて本当に良かったと心から感銘を受けてしまうのです。それで、感銘の銘をとり、私は買取名人と合わせて買取銘人と呼ばせていただきます。」と。

ありがとうございます。

2020年2月 6日 (木)

最遠の出張買取り

Ma

今まで行った出張買取りで一番遠い場所は、北海道網走の美幌でした。

朝イチの飛行機で女満別に飛んで、お客様のお宅へ着いたのが10時頃。それから、夕方4時頃までかけてチェックして、段ボール箱に10個くらいパッケージした記憶があります。

その後、地元のレストランで夕食をご馳走になってから、最終便で帰って来ました。

後から丁重なお礼状まで頂戴し、本当に良い出張買取りでした。

 

ちなみに、二番目に遠い場所は僅かな差(数十キロ差)で長崎市でした。こんな過去ログがありました→https://camera-kaukau.lekumo.biz/dailymeijin/2013/08/post-63e2.html

2020年2月 3日 (月)

沖さん

沖秋男さんをご存知ですか?

今から30年前、我楽多屋開店の時に店員をお願いしたのが沖さんでした。

当時、カラーラボの集配で当店に毎日来ていました。さらに昔は佐世保でカメラ屋をやっていたこともあり、古いカメラに詳しいので開店時から店番をやってもらいました。

我楽多屋を辞めた後は、上野のご自宅に「サングッドカメラ」を開店しました。もしご存命なら今年100歳を迎えられる、私にとっては業界の先輩でした。

画像は20年前のもの。私の左後ろが沖さんです。

66485834_2848765211832462_552458052

2020年1月28日 (火)

約20年ぶりのご依頼

Img_20200127_141456_2

昨日の買取り依頼品です。

ニコンFやFE2やF3チタン、リコーGR1など美品ばかりでした。

このお客様は20年くらい前にもご来店いただきました。その時はカメラを売ったお金でニコンF2チタンが欲しいと言われたので、ちょうど私が卸したばかりだった新宿のピンホールカメラさんを紹介して差し上げました。

そのF2チタンはまだ持っているそうです。

2020年1月27日 (月)

アベノン・レンズ

63728_410131939059011_164290229_n

アベノンには思い出があります。

1980年代だったと思います。レンズメーカーのコムラ―(三協光機)が会社をやめる時に、役員の一人だった阿部さんが独立されました。

その阿部さんから連絡をもらいました。「アローさん、ライカスクリューマウントのレンズ(28mmF3.5)を製造中でとりあえず1000本くらいあるので、全部どうですか?レンズ名を「ARROW(アロー)」にしてもいいです」と。

私は色々考えた末に「全部引き受けましょう。でも、レンズ名は『ARROW』じゃなくていいです。『アベノン(AVENON)』が良いんじゃないですか?」と答えました。

引き受けたレンズの半分くらいは香港のカメラ屋さんに売りました。残りの半分は日本の仲間の業者へ売って、全部売りさばきました。

2020年1月26日 (日)

30年以上のお付き合い

写真家の田中長徳先生とは、おかげ様で長いお付き合いをさせていただいております。

きっかけは長徳先生がカメラの買取り依頼でご来店されたことでした。30年ちょっと前のことです。

以後、いろいろとお世話になっていますが印象に残っている出来事に、一緒に私の故郷小豆島へ旅行したことです。先生のファンや店の常連さんも一緒に10数名で行きました。

宴会には島の町長にも参加してもらったり、ご参加いただいた皆さんと一緒に私の先祖の墓参りをしたり、楽しい旅行でした。

Dscf1759

2020年1月20日 (月)

玉虫さん

「玉虫」という珍しい名字の同業の古い友達がいます。

4歳下なので一緒に働いたことはないのですが、私が小僧として最初に働いたカツミ堂さんの後輩です。

その後は文京区や北区でカメラ屋さん写真屋さんをしていて、40年くらい前はよく一緒に香港へカメラを売りに行ったり買いに行ったりしていました。

今でも月に1~2回、うちの店に寄って業界の話などをしていきます。

「野田さんに会うと元気をもらえるから!」と言ってくれるのです。

写真はカツミ堂の藤本社長88歳のお祝いパーティーを昔の従業員でした時の写真。一番左が玉虫さんです。

83699718_3417658178276493_263133242

2020年1月18日 (土)

「都バスの日」で思い出したこと

今日1月18日は、1924年に都バスが運行を開始した日を記念して「都バスの日」なんだそうです。

それで思い出したことです。

アローカメラ開店当初、知人に東京都交通局の売店を紹介してもらって、都バスや都電の車庫や工場に毎日のように通っていました。

1日70kmくらいスクーターで走って、白黒DPEの集配をしました。杉並や芝、練馬など、今でも残っている車庫の前を通るととても懐かしいです。多い日には20本くらいフィルムを預かって来ていました。

そのうちに、DPEの依頼主の方々とも知り合いになってカメラの販売も相当にしましたし、店でやっていたアローカメラクラブ(メンバー50名くらい居ました)の撮影会にも参加してもらったり楽しい時代でした。

2020年1月16日 (木)

フィルムがたくさん売れた時代

写真フィルムの出荷数最盛期は1997年から1998年と言われています。今から20年前のことです。

でも、街の写真屋さんでフィルムがたくさん売れたのは、さらに20年から40年くらい前の話。大手量販店が台頭する前のことです。

私の記憶では、大阪万博のあった70年代前半がアローカメラで一番フィルムが売れた時代です。

万博で撮ったフィルムの現像を1人10本も20本も預かることもありました。

年末には36枚撮り2本セットに宝くじを1枚付けて1,200円くらいで売った思い出もあります。大晦日の夜中に店を開けていても、初詣へ行く人にフィルムが売れました。