過去のこと Feed

2020年3月19日 (木)

ヴィクトリア

スポーツ用品店のヴィクトリアさん、今から40年くらい前に神田を基盤に急成長されました。

その当時、我々の業界ではヨドバシカメラさんやビックカメラさん、カメラのさくらやさんが盛況でカメラ以外にも市場を広げていたので、ヴィクトリアさんは逆に中古のカメラ売買を始められました。

その頃、知人の紹介でヴィクトリアの社長さんから私にお声掛けがあって、中古カメラやレンズの取引をしていました。

ヴィクトリアさんが新宿南口にオープンさせた新店舗にはカメラ販売コーナーもありましたし、店長さんとも知り合いになったので、当時のブローカーとともにカメラ市みたいなことも場所を借りてやったことがります。

2020年3月14日 (土)

ニコンS3M

長年のカメラ買取りの中で、印象に残っている買取りの一つが「ニコンS3M」です。

もう30年程前の話です。地方から来られたお客様がニコンS3でハーフサイズが撮影出来るS3Mのモータードライブとレンズ3本セットを持参されました。

何店かに行ったがどこの店も自分の欲しい金額では買ってくれなかったと言って当店に来られました。

お客様の希望額は70万円でした。私は少し上乗せして買わせていただきました(もう30年前の話ですので現在の相場とは違います)。

この買取りの後日談を含めた話を、二代目のブログで以前取り上げています→https://camera-kaukau.lekumo.biz/arrow/2008/04/post-7071.html

2020年3月12日 (木)

月刊日本カメラ

カメラ写真雑誌の月刊日本カメラは、初代社長の時からお付き合いがあります。

二代目社長の平賀様には、アローカメラクラブの講師をしていただいたこともありました。

そして、私が買取りを始める時に顔写真入り広告を最初にOKしてもらったのも日本カメラでした。当時、他誌は顔写真入り広告に最初難色を示しました。

また、その頃のカメラ雑誌の広告ページには中古店が在庫品のプライスリストをずら~っと載せていました。懐かしいです。

2020年3月 3日 (火)

ゴールドカメラ

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昨日閉店時間30分くらい前にミノルタCLEゴールドの買取り相談の電話をいただきまして、「これから行きます」とのことなので、店を閉めずに待って買わせていただきました。

1980年前後、ゴールドのカメラが流行った時がありました。

ニコンFA、ペンタックスLX、コンタックスRTS、ミノルタCLE、ライカR3など。それぞれ約50万円以上で販売されて沢山売れました。

当時、私はコンタックスRTSゴールドを香港へ持って行って、100万円で仲間のカメラ屋さんに買ってもらいました。そのカメラ屋さんは、その場でお客様に電話をして250万円で売ったのも覚えています。日本での定価は60万円でした。

2020年3月 2日 (月)

千代田商会

今日の二代目ブログに出て来た「千代田商会」が懐かしいです→https://camera-kaukau.lekumo.biz/arrow/2020/03/post-5c5f.html

千代田商会は銀座にあって、問屋のようなこともしていました。

私が銀座で小僧をしている時には、店に来たお客様の欲しい品物の在庫が無いと、千代田商会へ走って行って品物を融通してもらったりしていました。

店の奥に居る、ちょっと取っ付きにくい店のオジサンを覚えています。

2020年2月29日 (土)

香港

1970~80年代くらい、フィルムカメラが元気な時代。

香港から若手のブローカーが来て、日本製カメラの新品同様品や中古品を何十台も買って行った頃がありました。香港にはヨーロッパのカメラ店が仕入れに来ていたからです。

私はその時、香港からハッセルブラッドやライカを買って来て業者に売っておりました。その時代に流行していた並行品です。

当時、銀座の大手のカメラ店でそれら並行品がよく売れておりました。

2020年2月14日 (金)

職務質問される

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訪問買取りには画像のようなコンテナやカゴを持参します。

以前の話になりますが、ある訪問買取りで沢山のカメラやレンズを買わせていただき、コンテナやカゴに詰めた品物を車に積み込みました。

店に戻る途中に立ち寄ったスーパーでお巡りさんに職務質問をされました。

カゴが画像のようにスーパーの店内で使うカゴと同じ形状なので、盗人に疑われたのです。

カメラ買取り専門店のアローカメラであることをいろいろと説明すると納得してもらえたので事なきを得ました。

2020年2月 8日 (土)

買取銘人

買取名人を名乗っていた時のことです。

お客様からのお礼状にこんなことが書かれていました。

「野田様は買取名人と呼ばれる方ですが、もうひとつ私からは買取銘人という称号をお贈りしたいと思います。カメラを買っていただくという事は長くもっていただけに決して嬉しい事ではありません。悲しい気持であります。ところが、野田様の誠実な御人柄が売る側の私の心をなごませ、野田様に任せて本当に良かったと心から感銘を受けてしまうのです。それで、感銘の銘をとり、私は買取名人と合わせて買取銘人と呼ばせていただきます。」と。

ありがとうございます。

2020年2月 6日 (木)

最遠の出張買取り

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今まで行った出張買取りで一番遠い場所は、北海道網走の美幌でした。

朝イチの飛行機で女満別に飛んで、お客様のお宅へ着いたのが10時頃。それから、夕方4時頃までかけてチェックして、段ボール箱に10個くらいパッケージした記憶があります。

その後、地元のレストランで夕食をご馳走になってから、最終便で帰って来ました。

後から丁重なお礼状まで頂戴し、本当に良い出張買取りでした。

 

ちなみに、二番目に遠い場所は僅かな差(数十キロ差)で長崎市でした。こんな過去ログがありました→https://camera-kaukau.lekumo.biz/dailymeijin/2013/08/post-63e2.html

2020年2月 3日 (月)

沖さん

沖秋男さんをご存知ですか?

今から30年前、我楽多屋開店の時に店員をお願いしたのが沖さんでした。

当時、カラーラボの集配で当店に毎日来ていました。さらに昔は佐世保でカメラ屋をやっていたこともあり、古いカメラに詳しいので開店時から店番をやってもらいました。

我楽多屋を辞めた後は、上野のご自宅に「サングッドカメラ」を開店しました。もしご存命なら今年100歳を迎えられる、私にとっては業界の先輩でした。

画像は20年前のもの。私の左後ろが沖さんです。

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