44年前と44歳と
「44年前は一番楽しい時だった、自分が44歳の時は一番苦しい時だった・・・」と、二代目44歳の誕生日に買取名人語る。
「44年前は一番楽しい時だった、自分が44歳の時は一番苦しい時だった・・・」と、二代目44歳の誕生日に買取名人語る。
レアモノや、いい品物の買取り依頼があった時は、長い間カメラ屋をやっていて良かった~と思う。儲けよりも、売買出来ることに生き甲斐さえ感じる。
昨夕、我楽多屋に来店された飯田鉄氏を客引きのごとく・・・「カメラおさわりコーナー」に勧誘した買取名人。
飯田鉄氏も「たくさん触りました(笑)」と、満足気にお帰りになられました。
昨朝ご来店された田中長徳氏に、先日来!?噂のパナマ帽姿を激写される。
長徳氏曰く「アルカポネが~」。
我楽多屋へ数年ぶりに2回目のご来店をされたH氏。「カメラおさわりコーナー」で名人と何やら20~30分過ごされた感想をメールでいただきました。「名人のお話しはサイコーでした!」と。
他店では、良いモノ過ぎるから~とか、古過ぎるから~とか、多過ぎるから~とか、がらくた過ぎるから~というような理由で話しが進まなかったカメラやレンズでも、何でもござれ!の名人魂がある。
銀座で修業時代、ライカを1台売ると数名居る店員すべての給料1ヶ月分がまかなえるような時代だったらしい。
野田店員は月に数台のライカを売る実力だったとのこと。
常々「帽子は似合わない・・・」と言っていた買取名人が、パナマ帽を被っていた5月9日の朝。
この情報が他の人々に意味があるのか分からないけど、、、買取名人はクジ運がかなり良いようです。