フォトアルバム

アローカメラ         &我楽多屋

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2017年11月 3日 (金)

Arrowの映写機

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この「Arrow」の映写機は、私が銀座で修業時代にあった8ミリブームの時に一番人気の映写機でした。

他にもキヤノンやセコニック、サンキョウなど沢山のメーカーが一斉に出していました。

私が独立する時に「アローカメラ」と名付けたのは、この映写機の印象が強かったから。

あと、真っ直ぐ飛んで行く矢にはシャープな印象があります。また、電話帳でも「ア」は最初の方に出て来ます。

また、子供が2人出来れば、毛利元就ではないが...3人でカメラ屋をやって3本の矢で強くありたいという思いも当時はありました。

2017年10月12日 (木)

マミヤプレスの思い出

アローカメラ開店の50余年前は、カメラ業界の絶頂期と言っても良い頃。私はビルの落成式とか結婚式のスナップ撮影の仕事もしていました。一番多かったのはボーリング場のオープンに関わる撮影でした。

今と違って当時のカメラは大きくて重いうえに、ピント合わせ・露出合わせしてから、シャッターセットして1枚1枚の撮影。その点、今はデジカメで何枚も何十枚も連写出来て、それもシャッターを押すだけです。

一番気を遣ったのは、セレモニー時のテープカットなどの撮影。220フィルムを入れても18枚しか撮影出来ませんから、タイミングを誤るとフィルム交換やシャッターチャンスを逃してしまうのです。これをサポートしてくれる名司会者と何年間かコンビを組んで仕事をさせてもらった話は以前にもしたことがあります。

そして当時は、写真が出来上がるまではハラハラとした心配や、ワクワクとした楽しみがありました。報酬もそれなりにありました。

買取りコーナーには当時使ったのと同じマミヤプレスがあります。今でも、機械式カメラを楽しむには最高の素材です。当時と違って安く手に入りますし。

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2017年5月19日 (金)

赤坂

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今朝は赤坂方面へ行った。私にとって凄く懐かしい場所です。

三共カメラの赤坂支店がオープンしたのは、東京オリンピックの年。店長として2年ばかりやりました。カメラ業界がとても元気な時でした。

また、赤坂の街の変わりようにビックリしました。そうです、50年以上なるんですものね。

今日は15,000歩

2017年4月23日 (日)

思い出の写真

こんな時もありました。見てください。

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一番下の画像は、小豆島の町長と島出身力士の琴勇輝関。

2017年2月 7日 (火)

大口径レンズ

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長い間買取りをしていると、不思議なことがたびたび起こります。普段はほとんど入って来ない超レア物が続いて来たり。

4日にはニコンS用50mm/1.1。昨日6日はキヤノン50㎜/0.95。

このようなことはどういうことでしょうか!?売り買いすることよりも、60年近く前の各社大口径レンズ競争を思い出して懐かしくもあり嬉しいです。

*画像のニッコールは4日分ではなくて、以前の画像からです。

2017年1月26日 (木)

カメラ屋も大阪万博景気

大阪万博が写真業界にとって活況のキッカケになったことは以前も話題にしました

私はフジフイルムさんに招待されたあと、アローカメラでも希望者を募って、貸切バスで大阪万博まで撮影会に行きました。

その時、1人平均36枚撮りフィルムを10本くらい現像・プリントがあったと思います。そういう時代でした。

残念なのは、カメラ屋がその時代の1/10くらいになってしまったことです。

2017年1月24日 (火)

あの時のカメラはどこへ行ったのでしょうか?

バブルの絶頂期、代理店経由の正規輸入品以外に、海外から直接品物を仕入れて売る並行輸入品も数多く出回りました。

並行品の市場価格は正規品の半分くらいだった時もあります。

私も香港の業者から仕入れて、相当な数のハッセルやライカを売ったものです。あの頃のたくさんのカメラはどこへ行ったのか不思議です。

どこかで眠らせているなら、今が売り時かと思います。

2017年1月21日 (土)

名誉?不名誉?アサヒペンタックス

いわゆる高度経済成長期、カメラも成長過程でした。アサヒペンタックスS2やSVがたくさん売れた頃は、カメラの修理も多かった。

銀座で店員をしていた私には、お客様から預かったカメラを持ってメーカーのサービスセンターへ修理に持ち込むのも大事な仕事の一つ。

一番よく行ったのは土橋にあったアサヒペンタックス。混んでる受付、修理期間。お客様から預かったカメラの修理をいかに早くやってもらうか、あの手この手で必死でした。

☆よく行ったサービスセンター、メーカー別順位(あくまでも買取名人の記憶による…)

  1. アサヒペンタックス
  2. オリンパス
  3. ヤシカ
  4. マミヤ
  5. キヤノン
  6. ニコン
  7. その他いろいろ

この順位、アサヒペンタックスのカメラが壊れやすかった~というよりは、それだけ沢山売れていたから修理も多かった~ということだと思います。

2017年1月17日 (火)

大らかな時代

私がまだ銀座のカメラ店で小僧をしていた時代(50~60年前)は、カメラ屋さんの全盛期だったと思います。

そして、大らかな時代でした。

お客様がカメラやアクセサリーを買いに来た時に店に在庫が無いと、すぐに近くのカメラ屋で借りて来て売る。そんなことが当たり前でした。

2017年1月16日 (月)

アローカメラクラブ

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40数年前、アローカメラもカメラクラブを作って、月に1回は各地に撮影会へ行っていました。

ご近所のお客さんほか皆さん、ローライやライカで楽しんでいました。

指導の先生は日本カメラの社長だった平賀真さん、本当に良き時代でした。