あの時のカメラはどこへ行ったのでしょうか?
バブルの絶頂期、代理店経由の正規輸入品以外に、海外から直接品物を仕入れて売る並行輸入品も数多く出回りました。
並行品の市場価格は正規品の半分くらいだった時もあります。
私も香港の業者から仕入れて、相当な数のハッセルやライカを売ったものです。あの頃のたくさんのカメラはどこへ行ったのか不思議です。
どこかで眠らせているなら、今が売り時かと思います。
バブルの絶頂期、代理店経由の正規輸入品以外に、海外から直接品物を仕入れて売る並行輸入品も数多く出回りました。
並行品の市場価格は正規品の半分くらいだった時もあります。
私も香港の業者から仕入れて、相当な数のハッセルやライカを売ったものです。あの頃のたくさんのカメラはどこへ行ったのか不思議です。
どこかで眠らせているなら、今が売り時かと思います。
いわゆる高度経済成長期、カメラも成長過程でした。アサヒペンタックスS2やSVがたくさん売れた頃は、カメラの修理も多かった。
銀座で店員をしていた私には、お客様から預かったカメラを持ってメーカーのサービスセンターへ修理に持ち込むのも大事な仕事の一つ。
一番よく行ったのは土橋にあったアサヒペンタックス。混んでる受付、修理期間。お客様から預かったカメラの修理をいかに早くやってもらうか、あの手この手で必死でした。
☆よく行ったサービスセンター、メーカー別順位(あくまでも買取名人の記憶による…)
この順位、アサヒペンタックスのカメラが壊れやすかった~というよりは、それだけ沢山売れていたから修理も多かった~ということだと思います。
私がまだ銀座のカメラ店で小僧をしていた時代(50~60年前)は、カメラ屋さんの全盛期だったと思います。
そして、大らかな時代でした。
お客様がカメラやアクセサリーを買いに来た時に店に在庫が無いと、すぐに近くのカメラ屋で借りて来て売る。そんなことが当たり前でした。
また昔(50~60年前)の話です。
かつて銀座の中央通りには1丁目から8丁目の間に5軒のカメラ屋さんがありましたが、今、中央通りには1軒も残っていません。
今の天皇陛下のご成婚は昭和34年。
パレード撮影のため望遠レンズがすごく売れた記憶があります。私も三宅坂の方まで行ったが凄い人出で1枚も撮れず。
このとき私も結婚しようかと思ってた。でもまだ20歳で若く、給料が1万円だった。その2年後の昭和36年に結婚した時の給料は3万円、大卒初任給の約倍額でした。
私が15歳でカメラ屋の小僧になった昭和29年夏頃の写真。
隣りに写っているのは神戸カツミ堂写真機店店長の和田さん。弟のように可愛がってくれた人です。
当時、オリンパス35やトプコン35がよく売れていました。
1964年に東京オリンピック、1970年に大阪万博。
このころ、一般の写真需要が急速に増しました。フィルムではフジカラー、サクラカラー、コダカラーの販売競争が激しかったです。東京五輪・大阪万博はカメラ屋さんのためにあったようなもの~と思えたくらい。
当時、アローカメラではサクラカラーのフィルムが一番売れていました。