アローカメラの名前の由来は
「1本の矢では・・・3本束ねると・・・」に憧れて、まだ長男しか生まれていない時代に、その後に生まれるであろう次男と合わせて親子3人で~を夢見て名付けたらしい。しかし、世の中そう上手くはいかなないものである。。。
*「アロー」の和訳は「矢」
「1本の矢では・・・3本束ねると・・・」に憧れて、まだ長男しか生まれていない時代に、その後に生まれるであろう次男と合わせて親子3人で~を夢見て名付けたらしい。しかし、世の中そう上手くはいかなないものである。。。
*「アロー」の和訳は「矢」
食べ物には、だいたい醤油をかけて食べるようだ。それが普通はソースをかけるようなメニューであっても。
*これは、ふるさと小豆島が醤油の名産地であるからかどうなのかは不明。
1966年、四谷三丁目にて開業。当初の「アローカメラ」は、当時普通に町中にあったカメラ屋さん写真屋さんでした。
1957年銀座「三共カメラ」に転職。「カツミ堂」での先輩にあたる細川氏の独立開業時のスタッフとして選ばれたため。
1956年、神戸「カツミ堂」から、銀座「カツミ堂」に転勤。
初めての上京は、夜行列車の急行「銀河」にて。終着の東京駅で先輩が待っているというのに、手前の新橋で降りてしまった17歳の野田少年だった。。。
新橋停車?を疑問に思って調べてみたところ、1956年11月までは確かに「新橋」にも停車していたらしい。
1954年に神戸「カツミ堂写真機店」に入社。この年はライカM3が発売された年である。
同じ荒木町内にある喫茶店の女性オーナーが「カメラ四谷快談」を買いに来てくれた。喫茶店に置いてあった「カメラ四谷快談」が無くなってたらしい。。。盗まれたのか???
「全部」という口癖があるが、現段階そうでなくても、「全部」と言ってしまうことで、全部にしてしまうことがある。ある意味で有言実行。
独立後しばらくは、撮影やアルバム作りなどの仕事もしていた現買取名人。