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昨日の話の続きです。
値引きをしなくてもよく売れた昭和30年代は、下取り交換も盛んでした。
でも、昭和40年代も後半になると大手量販店の値引き競争が始まり、小さいカメラ屋は新品販売では利益が得られなくなりました。それは下取り交換でも同じこと。
カメラ屋の中には中古販売にシフトするお店も増えましたが、私はその頃、他がやらなかった買取り専門に業態を特化することにしました。
カメラがよく売れた昭和30年代の話です。
大卒初任給が1万円台だったのに、7~8万円するようなニコン、キヤノンの新品カメラが値引きもせずに沢山売れました。
リコーフレックスなどは一時期、生産が追い付かず、8,800円の定価に対して2割くらいのプレミアを付けても売れた記憶があります。
今は情報も氾濫していますし、全然違う時代だったのですね。
昭和30~40年頃、カメラメーカーのサービスセンターにお客様から預かった修理品のカメラを持って行く仕事をよくしていました。
顔馴染みの業者ということもあって、すぐにその場で直してくれたりもしたものです。
特にペンタックスさんは一番サービスが良かったと記憶しています。
半月前、お父様が買い集めたご遺品のカメラ・レンズ数百点を売却したいと相談でご来店くださったお客様。数時間いろいろと話しまして、カメラ好きな息子様でも手に負えない…ということで、訪問買取りすることになりました。
一昨日10月10日、当店の定休日を利用して二代目と2人で訪問しました。
「名人にお任せするのでゆっくり検品してください」と言われまして、すごい台数をお預かりして参りました。私は体力的に無理できないので、二代目がバンの荷室いっぱいに積み込み、結局は1日作業になりました。
二代目お疲れ様でした。
お客様ありがとうございます、頑張って値付けします。
1960年代に流行ったハーフサイズカメラ。
流行った原因は、フィルムが高価だった時代に1本のフィルムで倍(2本分)の写真が撮れるというところ(現像料も1本分でいい)でした。
当時のカメラ屋は、看板にD.P.E.(現像・焼付け・引伸し)を謳って写真屋として商売順調でした。
私 買取名人、カメラ雑誌の顔入り広告でお見知り置きいただき、長年、カメラやレンズを売られる方に喜んでいただいていると自負しておりますが、如何でしょうか?
最近はネットが発達して情報が溢れ、カメラ屋以外のリサイクルショップや廃品回収業者などもカメラを扱うようになっております。
それでも、ご家族がコレクションなどされていたカメラ遺品の整理に困っている方が多いような気がしております。カメラには思いが詰まっているようで簡単に扱えない...というご遺族も多いようです。
私はそのような方々に特別のお手伝いをしたいと思っています。大切なご遺品に込められている思いを汲んで事務的なお取引など避けたいと思っています。
一昨日のこと。ニコンS3他を売りに来られたお客様。
新宿のカメラ店を4軒回って最後に私の所に来ました。昔のカメラだから分からないという店もあったようです。また、Yバシカメラの店員さんにうちの店を紹介もされたそうです。
私の値付けが一番高額だったので、買わせていただきました。ありがとうございました。
S3が分からないって...最近は組織化してしまって、いわゆるカメラ屋さんが少なくなって淋しいです。