我楽多屋で買った    モノ・マガジン

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2018年7月17日 (火)

絶対的価値と相対的価値

昨日の日々買取名人学で「絶対的価値」について名人が語っていました。

買取り価格は絶対的価値を追求するって言っているのですが、最初は何を言っているのかイマイチ理解出来ませんでした。

で、絶対的価値を調べたら、相対的価値という言葉も一緒に出て来ました。この二つの意味を考えていたら理解が出来てきました。

買取り依頼のあった品物に対し、業者として可能な限りのいい買取り値を付けることを追求したい~ということなんだと思います。

他より高く買う努力をすることは勿論のこと。買取名人が昔から言ってる、自分の買取り価格を電卓に打ち込んでおいて、お客さんの希望額がそれより低くても、電卓の価格で買う~という相手の足元をみない買取りのことなんだろうな。また、そういう時に満足感を得られるともよく言ってる。

相対的価値でいうと、中古市場的にいい品物を持っているのに、お客さん的には十分使ったし捨てるつもりだったから買取り値に全然期待していない場合もあるわけです。その逆に、中古市場的に市場性の無いものなのに、お客さん的にはご遺品だったり購入時の価格ばかりが先に立って、相場以上の高値を望んでいる場合もあるわけです。そのどちらでもなく、プロとして絶対的価値を見極め=いい買取り価格を追求するってことなんでしょう、多分。

 

ところで、カメラ遊びについて考えてみると、特に我楽多屋で見つけていただくような品物の場合は、皆さんの楽しみの基軸は相対的価値で考えた方が俄然楽しくなると思います。

決して、高性能な新品を買って楽しむことを否定するわけでは一切ありませんが、適当で手頃な価格(そう判断いただけたから買っていただけるわけで)で入手したものを、ご自分の発想や好みで使いわけたり、所有する満足感を得るような、誰に教えられたわけでもない楽しみ!って感じです。

そういう楽しみ方を出来ることがとても素敵だと思います。

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最後に、絶対的価値と相対的価値を説明したものに、ネット上でこんな一文を見つけましたので、コピペしておきます。

「100万ドルの絶対的価値は日本円に換算して1億数千万円ですね。ビル・ゲイツ氏が100万ドルを寄付するときの、ビル・ゲイツ側からみた価値は、私たちの100円くらいの価値かもしれません。

これが相対的価値の違いです。

100円均一で買った折り紙は、100円の価値しかありませんが、幼い娘が折ってくれた折り鶴は、私にとって、100円ではありません。しかし、路上に落ちていればゴミです。

こういうのでも絶対的な価値と相対的価値の違いがわかりますよね。」

 

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